与党が国会の過半数を占め、国会での審議をせずに法律を強行採決して可決していくとき、そこでは何が問題となり、また、どうすれば強行採決を防ぐことができるのでしょうか。
本日はこのテーマについて考えていきたいと思います。
もくじ
立憲主義や民主主義において非常に重要な問題
まず結論から言えば、問題は「多数決」そのものではなく、多数派が「熟議(議論)」と「権力への歯止め」を失わせることにあります。
国会は単に票を数える場所ではありません。本来は、異なる立場の意見をぶつけ合い、法律の欠陥を見つけ、国民に情報を公開する場でもあります。
なぜ審議が重要なのか
法律は一度成立すると、多くの人の権利や生活を長期間左右します。
そのため審議には少なくとも次の役割があります。
① 法律の欠陥を見つける
野党や専門家から
- この条文は曖昧ではないか
- この場合はどうなるのか
- 憲法に違反しないか
という指摘が行われます。
政府案が修正されることも珍しくありません。
つまり審議は「反対するため」ではなく、
法律をより良いものにするため
でもあります。
② 国民が内容を知る機会になる
国会中継や議事録を通して、
「この法律は何を目的としているのか」
「どんな問題点があるのか」
を国民が知ることができます。
審議を飛ばしてしまうと、
国民が判断する材料そのものが失われます。
③ 政府に説明責任を果たさせる
政府には「なぜこの法律が必要なのか」を説明する義務があります。
質問されることで、
- 根拠
- データ
- 必要性
を示さなければならなくなります。
これを説明責任(アカウンタビリティ)といいます。
強行採決が繰り返されると何が起こるか
多数派が「どうせ数で勝てる」となれば、
次第に
- 答弁しない
- 修正しない
- 説明しない
という状態になります。
すると民主主義は、「議論する民主主義」から「数だけの民主主義」へ変わってしまいます。
政治学では、このような現象を「多数派の専制(tyranny of the majority)」と呼びます。
これは、19世紀のアレクシ・ド・トクヴィルや、ジョン・スチュアート・ミルも強く警戒していました。
では、どう防ぐのでしょうか
ここが一番重要なところです。
民主主義では、一つの制度だけでは防げません。
複数の歯止めを組み合わせます。
① 国会手続
例えば
- 委員会審議
- 公聴会
- 参考人招致
- 修正案提出
などです。
これらは十分な審議を行うための制度です。
② 野党による監視
野党の役割は「政権を倒すこと」ではなく、政府に説明を求め続けることです。
少数派でも
- 質問
- 資料請求
- 追及
を行う意味があります。
③ 司法
成立した法律が憲法違反なら、裁判所が違憲と判断する可能性があります。
もっとも、日本では、司法は統治行為論などもあり、政治部門への介入には比較的慎重な傾向があります。
しかし、ここは議論の余地は大いにあり、司法は最後の砦として違憲との判断について、責任を持って判断を下すことに躊躇わないでほしいと思います。
④ 世論
国会議員は選挙を意識しています。
十分な説明なしに法律を成立させれば、
- 支持率
- 世論
- 次の選挙
に影響します。
そのため本来は、
世論も大きなブレーキになります。
⑤ 報道
メディアが「何が問題だったのか」を伝えることで、国民も判断できます。
もし報道が機能しなければ、政府の説明不足は見えにくくなります。
司法が消極主義をとり、選挙制度自体に問題が指摘され、報道が萎縮するとき、国会審議の軽視はさらに重要な意味を持つ。
本来、民主主義では
- 国会で十分に議論する
- 報道が検証する
- 世論が評価する
- 選挙で審判する
- 必要なら司法が違憲審査を行う
という複数の抑制が重なって機能することが期待されています。
もし、そのうちの一つだけでなく複数が弱まれば、権力をチェックする力全体が低下するおそれがあります。ただし、実際にどの程度それぞれの機能が弱まっているかについては、個別の制度や事例ごとに慎重に評価する必要があります。
最も重要なことは
制度論として見ると、最も重要なのは「強行採決をなくすこと」そのものではなく、「なぜその法律が必要なのかを政府が説明し、その説明が公開の場で検証されること」です。
民主主義は多数決によって最終的な結論を出します。しかし、その前提として、少数意見にも耳を傾け、異論を通じて法案の問題点を洗い出す熟議の過程が不可欠です。
つまり、民主主義の本質は「51対49で勝てば終わり」ではなく、「決定に至るまでの過程が公開され、説明可能であり、批判に開かれていること」にあります。その過程が保たれている限り、多数決は民主的正統性を持ちやすくなりますが、その過程が失われれば、多数決自体への信頼も損なわれてしまいます。