日本の司法はなぜ弱い?トランプ関税を違憲とした米国連邦最高裁判所との違いとは

日本は、司法が弱いと言われます。実際、統治行為論など、違憲であるにもかかわらず無効を宣言できなかったり違憲判断すら回避することも多いのが、日本の司法です。それは最終的には、国民が選挙で決することだからとの判断があるようですが、多数決が正しいとは限らない時に、司法は、きちんと多数決を制限する機関として存在できないといけないのではないか

例えば、アメリカではトランプ大統領の関税について、連邦最高裁判所が違憲判決を出しています。日本だとこのようなことは考えにくい。なぜ日本ではこのように裁判所が役目を果たせない(or 果さない)のでしょうか。

今回は、この司法の問題について、チャットGPTと対話し考察しました。

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日本の最高裁はなぜ「消極的」なのか

日本の最高裁は戦後80年以上で、法律そのものを違憲無効とした判決が極めて少数です。

一方でアメリカでは、

  • 大統領令
  • 連邦法
  • 州法
  • 行政措置

について裁判所がかなり積極的に違憲判断を行います。

これは単に裁判官個人の性格ではなく、制度や歴史の違いが大きいと考えられます。

① 戦後日本司法の出発点

日本の裁判所は戦前、軍部や政府を十分に抑制できませんでした。

しかし戦後になると、逆に裁判所は

「政治に深入りしてはいけない」

という文化を強く持つようになります。

つまり、

「裁判所が国家運営を主導するべきではない」

という自己抑制です。

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② 統治行為論

ここで出てくるのが統治行為論です。

有名なのは
砂川事件

です。

この判決で最高裁は、日米安保条約のような高度な政治問題については、

「司法審査になじまない」

として実質的な判断を避けました。

学説上はかなり批判されています。

なぜなら、

憲法81条は最高裁に違憲審査権を与えているのに、最も重要な問題ほど審査しないことになるからです。

③ 国民が選挙で決めるべきという発想

日本の裁判所には、しばしば

「政治的問題は国民が選挙で判断すべきだ」

という考え方があります。

例えば、

  • 安全保障
  • 外交
  • 防衛政策
  • 原発政策

などです。

しかしここには大きな批判があります。

批判の核心

選挙は「政策全体」を選ぶものです。

国民は

  • 経済
  • 福祉
  • 税制
  • 外交
  • 防衛

全部まとめて投票します。

だから、

「選挙で勝ったから憲法問題も正当化される」

とは本来言えません。

さらに、もし多数決だけで正当化できるなら、司法の存在意義そのものが薄くなります。

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④ 本来の司法の役割

近代立憲主義では

「多数派から少数者を守る」

のが司法の重要な役割です。

例えば、

  • 表現の自由
  • 信教の自由
  • 適正手続
  • 少数者の権利

などは、

多数決で簡単に侵害され得ます。

だから憲法裁判所や最高裁判所が存在する。これは日本も理論上は同じです。

⑤ なぜアメリカは違うのか

アメリカでは建国以来、司法が政治権力を抑制する伝統が非常に強いです。

有名なのが
マーベリー対マディソン事件です。

ここで連邦最高裁は、

「裁判所には違憲立法審査権がある」

と宣言しました。

その後、

  • 大統領
  • 連邦議会
  • 州政府

すべてを相手に違憲判決を積み重ねてきました。

そのため、アメリカでは

「裁判所が政治権力を止める」

ことが制度文化として定着しています。

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⑥ 日本特有の問題

さらに日本には、最高裁裁判官の任命制度があります。

最高裁裁判官は内閣が任命します。形式的には独立していますが、実際には

  • 官僚出身
  • 裁判官出身
  • 検察出身

を中心とした比較的保守的な人事が続きやすい。

また、司法内部の昇進制度もあり、組織文化として

「大きな政治対立に踏み込まない」

傾向が指摘されています。

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憲法学者による批判

日本の憲法学では、

最高裁について

「司法消極主義が強すぎる」

という批判がかなりあります。

特に、

  • 安保法制
  • 自衛隊
  • 一票の格差
  • 衆院解散
  • 原発

などの分野では、

「もっと正面から憲法判断をすべきだった」

という議論が続いています。

「多数決が正しいとは限らないのだから、司法には多数決を制限する役割が必要ではないか」

この問題意識について、検討します。

「多数決が正しいとは限らないのだから、司法には多数決を制限する役割が必要ではないか」

という考え方は、

まさに近代立憲主義の中心的な発想そのものだと思います。

なぜなら憲法とは本来、

「国民が熱狂している時でさえ越えてはならない線」

を定めるために存在するからです。

その意味で、

日本の司法がどこまで政治部門を統制すべきか、統治行為論を維持すべきか、あるいはもっと積極的に違憲審査を行うべきかは、現在でも日本の憲法学における非常に大きな論争テーマです。

そして近年、SNSによる世論形成や行政権の強大化が進む中で、

「だからこそ司法の役割は以前より重要になっているのではないか」

という議論は、以前よりも強く主張されるようになっています。

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まとめ

日本の司法の消極的態度はなぜなのかについて、チャットGPTと考察してみました。ここで重要に感じたのは、日本の裁判官が内閣に任命されるという点がアメリカとの違いについて上がってきたことです。ではアメリカでは裁判官はどのように任命されるのか、次回の記事でそちらについて書いていきたいと思います。また、アメリカでは司法が政治権力を抑制する伝統が非常に強いのはなぜなのか、も疑問に思いました。ですので、このことについても別の記事で書きたいと思います。

数が暴走する時、それを止められるのは司法しかないのではないかと思います。司法に関わる方々にはより積極的に「自分達が何を守っているのか」について考えてみてほしいと思いました。