【米津玄師と菅田将暉】初コラボ「灰色と青」のきっかけと感想

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米津玄師と菅田将暉の初コラボ「灰色と青」のきっかけ

米津玄師さんと菅田将暉さんが初コラボしたのが楽曲「灰色と青」。

きっかけは、米津玄師さんからの熱烈オファーでした。

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米津玄師が菅田将暉に一目惚れ

米津玄師さんが、2014年に「アイネクライネ」を作った時に、その映像を作った監督の作品『そこのみにて光輝く』を見て、菅田将暉に一目惚れ。

「すげー人いるなって。ビビッドな、ある種、暴力的なニュアンスがある、この人は一体なんなんだろうっていう興味から始まって」

「灰色と青」はもともと北野武監督のキッズ・リターンのような音楽を作りたかったという米津玄師さんの思いから。

「あの曲は、そもそも『キッズ・リターン』ていう北野武さんの映画があって、高校生ふたり組が、お互いがお互いの道を選びながら進んで行って、最終的にふたりともダメになっちゃって、冒頭の校庭に戻るっていう映画なんだけれども、そういう音楽をどっかで作りたいなってずっと思ってて。」

“どれだけ背丈が変わろうとも変わらない何かがありますように”

「灰色と青」の歌詞にそんな空気感があふれていますね。

米津玄師と菅田将暉 初コラボで互いの第一印象は?

菅田:「低温で、クールなイメージだったが、実際に会ってみるともの凄く熱い人だった」

米津:「ビビッドな魅力があり、自分の人生に度々登場してくる、意識せざるを得ない人だった」

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米津玄師が菅田将暉を初コラボで口説いた言葉

個人的な話だけど、誰かと奇跡的に同じことを考えてる瞬間を何度か経験したことがあって

その瞬間っていうのはほんととんでもない瞬間で、

あーこのときのために生まれてきたんだな、とすら思うんだけど、

でもそんなのはほんと一瞬の出来事で、次の瞬間には全然違う人間同士になってる。

そういう刹那的な瞬間を、どうにか音楽にできないだろうか?とずっと考えてて。

音楽と俳優っていう別分野だし、生きてきた環境も違うんだけど、自分と年も近くて、なんだか共通してる部分があるような菅田くんとなら、そういうのが表現できるのでないか。

と思ったことが今回の曲の根幹になってます。ぱつぱつのスケジュールでごめん。でも絶対面白くなると思う。

米津玄師がすごく酔っ払っていた理由

ナタリーより

「菅田くんじゃないと絶対だめだなって思った」と語るほどだった米津玄師さん。

菅田将暉さんの声を聞いて、自分には絶対出せない声だと思った米津玄師さん。
どうしても口説きたい、失敗したくないからこそ、緊張する。

そんな自分の緊張をほぐすためだったのかもしれませんね。

『絶対に一緒にやりたい』っていう気持ちがものすごく強くて。『これは口説けなかったら終わり』ってくらいに言ってたから、俺、ウィスキーとかガンガンに飲んで行って」

菅田将暉さんのオールナイトニッポンに出演した際にも

「一瞬でパーンっと人の心に届く声。いい声だなって聞けば聞くほど思う。嫉妬するもん。」

と語っています。

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米津玄師と菅田将暉 初コラボの感想

初コラボを終えて菅田将暉さんは以下のようにコメントしています。

自分自身がやり残していた青春の燃え尽きや、いつの間にか失くしてしまった何かをこの曲の中で表現できたような心地良さがあります。」

東京に一人上京してきた菅田将暉さんにとって、学生時代の部活動を再現できそうな予感があったんだそうです。

米津玄師さんは以下のようにコメントしています。

どうしてもやりたいと無理を言いました。この曲は菅田くんでなければ絶対に成立しないと思ったからです。
自分と菅田くんの歌声を通して、この曲の奥にあるもの、なくしてしまったのか、または未だに持ち続けているのか、
そういう青さを表現することができたと思います。

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