愛船「光進丸」炎上の際の加山雄三を、息子山下徹大が語った

こんにちは、skyです。

25年も続く24時間テレビの主題歌「サライ」を作曲した加山雄三さん。
80歳を超えた現在も、コンサートを開催し、お客様を喜ばせるなど精力的に活躍されています。

しかし、2018年の4月に、加山雄三さんは、とても大事にしていた愛船「光進丸」が燃えてしまうという出来事に見舞われます。

その時の、加山雄三さんの落胆と、そして気丈に立ち直るまでを息子で俳優の山下徹大(改名して加山徹)さんが語っていました。

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加山雄三 プロフィール

■生年月日:1937年4月11日 
 4歳で、オルガンを弾けるようになる。
 14歳で初めて作曲「夜空の星」
■出身地:神奈川県横浜市

■血液型:A型
■学歴:茅ヶ崎第一中学校→慶応高校→慶応大学法学部政治学科

ボートとの出会いは、大学
初めてのモーターボートを5ヶ月かけて完成させた。

■1960年23歳で、東宝と専属契約。
 三船敏郎さんらが出演する映画「男対男」にてデビュー。

■1961年24歳で、若大将シリーズの映画が始まる。
 同じ年、歌手デビュー

■妻は元女優の松本めぐみ、
 父は俳優の上原謙 
 息子は俳優の山下徹大(改名して加山徹)

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山下徹大(加山徹) プロフィール

本名:池端 徹大
生年月日:1975年8月8日
出身地:東京都
血液型:O型
サイズ:身長172cm・体重60kg・B88・W73・H92・靴25.5
特技・趣味:作詞・作曲・ギター・ドラム・ウクレレ・カラオケ
スポーツ:スキー・スノーボード・水泳・卓球(中学)・陸上(高校)・アイスホッケー(大学)

加山雄三の愛船「光進丸」

スポニチ

「光進丸」は加山雄三さんが設計した3台目の船でした。
1981年に購入し、37年間を共にしていた。人間でいうと、105歳を超えるおばあちゃんだったそう。

加山雄三さんにとっては、家族でグアムに行ったり、友人を招いてカラオケをしたりと思い出深い存在でした。

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加山雄三 愛船「光進丸」の炎上を知る

加山雄三さんが愛船の「光進丸」の炎上を知ったのは、沖縄でのコンサートの日でした。

コンサートに同行していた息子の徹大さんの元へ、母親のめぐみさんから電話がかかってきます。

ちょうど、コンサートが終わって、打ち上げが始まろうとしているときでした。さあ、乾杯というときに、僕の携帯が鳴ったんです。ぱっと出たら、おふくろからで、『たいへん、光進丸が燃えてる』という一報でした。

向こうもてんやわんやで、「燃えてる! うわー、どうしよう」と叫ぶ声や消防車のサイレンの音が携帯越しにじゃんじゃん聞こえてきた。

そのあと、親父と一緒にホテルに帰り、部屋にマネジャーも呼んで、『冷静になって聞いてくれ』と前置きしてから、『今、光進丸が火事になって燃えてる』と伝えました。

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加山雄三 俳優のきっかけは船を作りたい一心だった

加山雄三さんが俳優になったきっかけは船造りをしたいということでした。

大学生の頃に初めてクルーザーを作った加山雄三さんにとって、船への思い入れがとても強く、もともと俳優を志すつもりはなかったそうです。

ですが、「父親をならって、俳優で一稼ぎして、船を作ればいいのでは?」と友人に助言されて、それがきっかけとなって俳優の道に入ることになります。

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加山雄三 「ショックだった」息子から見た様子

親父は、がっくり落ち込んでしまいました。寝込んでしまって、起き上がれなくなってしまったんです
医者に往診にきてもらい、自宅で点滴をうってもらいながら治療していたんですが、まるで魂が抜けたようにどんどん衰弱していきました。しばらくは、立ち上がるのもたいへんで、トイレに行くのもままならず、家族が交代しながらつきっきりで看病する状態でした

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加山雄三 コンサートまで1週間

倒れた1週間後には、ハワイでのコンサートが予定されていました。

出発直前に、なんとか歩ける状態までは回復していたそうですが、体調は完全じゃなかったそうです。

ですが、加山雄三さんは、ハワイについてからどんどん元気になっていきます。

ハワイについてからはぐんぐん回復して、3日めから始まったコンサートもやるたびにどんどん良くなっていったんです
その様子をすぐ近くで見ていて、ほんとにすごい人だなと思いました。わずか1週間前には起き上がれない状態だったのに、今、目の前で観客を前に歌っている。お客さんたちは途中から総立ちです。最後は、みんな手をつないで大合唱ですよ。

お客さんをそこまで盛り上げるパフォーマンスもすごいと思ったけど、何より圧倒されたのは、あれだけ精神的にも肉体的にも打ちのめされて、そこから1週間でここまで復活する気力、プロ根性だったんです。

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側で見ていた山下徹大さんは、この姿を見て、

家族だから、かっこいい加山雄三だけではない、いろんな面も知っていますが、このときは、『なんてかっこいい人だろう』と心から思えたんです。
親父のすさまじいまでの気力を見せられたときに、『俺は、この人の息子であることを誇っていていいのではないか』と思いました。変に意識したり、気にしたりすることはない。人の目を気にすることなく、素直に親父を誇りに思う。それでいいんじゃないかと

ずっと、「加山雄三の息子」と言われる恐怖感があったのが、無くなったそうです。それが、山下徹大という芸名を加山徹に変えるきっかけだったそうです。

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