【竹内まりや・山下達郎】なれそめ。初対面は印象悪かった!

デビューして40年以上も歌手活動を続け、今なお人気の竹内まりやさんと山下達郎さんご夫妻。

このお二人はご夫婦ですが、出会いのきっかけや馴れ初め、最初は互いに印象が今ひとつよくなかった二人がどう惹かれあって行ったのか、調べてみました!

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竹内まりや プロフィール

realsound.jp
生年月日:1955年 3月20日
出身地:島根県出雲市大社町

1972年、高校3年の時、AFS交換留学生として、
アメリカ・イリノイ州 ロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクールに留学。

1974年、慶応大学 文学部 英文学科入学。
1979年 3rdシングル「SEPTEMBER」がヒット
    日本レコード大賞新人賞など多数受賞。
1982年4月、山下達郎と結婚

子育てをしながら、数多くのアイドルや歌手に楽曲を提供。
結婚後36年間に行なったライブは3回だけ。

竹内まりや 名前の由来

竹内まりやさんは本名ですが、この名前はお父様が、つけられたそうです。

まりやさんは、4番目のお子さんらしく、上のご兄弟は、●●子さんなど、「子」がつく名前だったそうですが、お父様が、4人目が生まれた時に、自分の好みでつけたいと思って「まりや」になったそうです。

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山下達郎 プロフィール

tower.jpより
生年月日:1953年 2月4日
出身地:東京都豊島区 池袋

1973年 大貫妙子らとシュガー・ベイブ結成。同時期に大瀧詠一と知り合う。
1975年4月、大瀧詠一のナイアガラ・レーベルからデビュー。
1979年 日本レコード大賞ベスト・アルバム賞受賞
1982年4月 竹内まりやと結婚
以後まりやの作品の編曲・プロデュースも全面的に手がけていく。
アルバム『MELODIES』(1983年)に収められた「クリスマス・イブ」が、
1989年にオリコンチャートで1位を記録。20年以上にわたってチャートイン。日本で唯一のクリスマス・スタンダード・ナンバーとなる。

竹内まりや 山下達郎 出会いのきっかけ

二人は、同じレコード会社で、山下達郎さんは竹内まりやさんの先輩にあたる関係でした。

竹内まりやさんが、まだデヴューして間もない頃、テレビ番組に出演した際、「大口コンテストをやるんで、男の子の口の中にところてんを押し出す役をやってください」と言われたそうです。

その依頼を受けて、ところてんを押し出しながら、竹内まりやさんは、

「いや、私の人生これでいいのだろうか」とふと考えたそうです。

そして、その悩みについて相談していた相手が、山下達郎さんでした。

「音楽を音楽としてやっていくにはどうしたらいいでしょうか?」と質問していたそうです。

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竹内まりや 山下達郎 「お互いの第一印象はよくなかった」

www.universal-music.co.jp

山下達郎さんは「ぶすっとしているな」と思い、チャラチャラした女子大生みたいに思ったらしく、竹内まりやさんは「冷たい感じがした」そうです。

二人ともお互いに好みのタイプではなかったそうです。

竹内まりや 山下達郎 話をする中で意気投合

竹内まりやさんは、最初は特に好みとも思っていなかったものの、話をしてみると、「この人の言っていることは一理あるな」と思うことが多かった。

よく話ししてみると、話のノリが結構あう、話してて面白いと。だったら生活しても面白いだろうと思って結婚に。

知り合って7〜8年だったそうです。

付き合うきっかけはアン・ルイスの「リンダ」

アン・ルイスさんへの提供曲「リンダ」の作成の際、山下達郎さんが徹夜でコーラスを担当してくれたそうです。

その姿を見て、音楽に向き合う姿勢に、信頼できるなと感じ、正式にお付き合いしましょうというお話になったそうです。

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竹内まりや 山下達郎 結婚式

デイリー

1982年、当時、山下達郎さん28歳、竹内まりやさん27歳。
東京・六本木の出雲大社東京分祠で結婚式をされました。

「派手なことは嫌い」という山下達郎さんの意志で、身内だけのささやかなものだったそうです。披露宴では、ご親族の他に世良公則さん、桑名正博さん・アン・ルイスさんご夫妻、近藤真彦さんら音楽仲間約200人が出席されました。

まとめ

竹内まりやさんと山下達郎さんのなれそめを調べてみました。
意外にも初対面は印象がイマイチだったんですね!

音楽に対する相談から始まったお二人の関係。
音楽に対する真摯さに惹かれていってお付き合いになり、結婚へと進んだお二人。

竹内まりやさんは、お子さんを育てながら、達郎さんのスケジュールが空く時を待って、アルバムを作ったりライブをしたりされるようです。

自然体で素敵な竹内まりやさんと山下達郎さんのなれそめ、素敵でした!

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