ピアニスト清塚信也の経歴・プロフィール|厳しかった母とのエピソード

日本人男性クラシックピアニストとして初めて日本武道館での単独公演を成功させた清塚信也さん。

ドラマなどへの楽曲提供、バラエティへの出演など活動は多岐にわたり、“クラシック界の貴公子”とも呼ばれテイル清塚信也さんの経歴・プロフィールをご紹介します。

さらに、ピアニストとして育てることに力を入れていたお母様とのエピソードもご紹介します。

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清塚信也のプロフィール

毎日新聞より

名前:清塚信也(きよづか・しんや)
生年月日:1982年11月13日
出身地:東京
血液型:B型

経歴

●5歳よりクラシックピアノの英才教育を受ける。
●中村紘子氏、加藤伸佳氏、セルゲイ・ドレンスキー氏に師事。
●桐朋女子高等学校音楽科(共学)を首席で卒業。
●1996年第50回全日本学生音楽コンクール全国大会中学校の部第1位。
●2000年第1回ショパン国際ピアノコンクール in ASIA 第1位
●2004年第1回イタリアピアノコンコルソ金賞
●2005年日本ショパン協会主催ショパンピアノコンクール第1位など
国内外のコンクールで数々の賞を受賞。

<有名な吹き替え演奏>

「のだめカンタービレ」にて玉木宏氏演じる「千秋真一」
「神童」では松山ケンイチ氏演じる「ワオ」

<作曲した楽曲>

2015年『コウノドリ』メインテーマ「Baby, God Bless You」
2017年『コウノドリ』メインテーマ「For Tomorrow」
さらに映画『新宿スワン II』より「恋心」「水の妖精」「心の声」

<俳優デビュー作品>

2013年映画『さよならドビュッシー』

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18歳でモスクワに留学した理由

barks.jp

モスクワへの留学を決めたのは、清塚信也さんの希望からだったそうです。

5歳からピアノを習っていた清塚信也さん、お母様と先生がとても厳しくて「逃れたかった」からだそうです。

当時のお母様は、とても厳しかったそうで、

5歳でピアノを始めたんですが、母が「絶対にピアニストになりなさい。音楽は楽しむものじゃなく、競り勝つものだ」と。厳しくて、もう体育会系なんてものじゃなくて軍隊だったです(笑)。

と清塚信也さんは語っています。

中学生の頃には、お母様から「人間はいつか、ずっと眠ることになるのだから、今は練習しなさい」と言われ、1日12時間の演奏が日課だった清塚信也さん。

あまりに厳しい練習と決められたレールに「もっと自由にピアノを弾きたい」「自分にとってピアノって何なのかということをじっくり考えたい」
そんな思いから留学することを考えたそうです。

そしてなぜモスクワだったのかは、

「ウィーンやパリは日本人が多いので、もうちょっと落ち着いた場所ということでモスクワ」

を選んだそうです。

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20歳の時、母親と大げんか

様々な賞を受賞している清塚さん。順風満帆な人生のように見えますが、実は挫折もありました。

ピアノ漬けの日々を送ってきた清塚さん、一番の目標だったショパン国際コンクール出場の夢を叶えることができませんでした。

その時、とても落ち込んだそうです。でもそんな時に恩師である先生がくれた言葉で価値観が変わります。

「あなたは、そのショパンコンクールじゃなくて音楽を愛してやってるんでしょ?」

その言葉にはっとした清塚信也さん。その言葉から、「自分の音楽をもっと広く知ってもらおう」と芸能界の門を叩くことになります。

お母様はその様子に大反対だったそうです。

「わかってくれる人だけでいいからと弾いていても成立しない。ベートーヴェンもショパンもそうやって生きて来たんだ!と20歳の朝6時、玄関で大喧嘩しました」

初めてお母様に言ひ返した瞬間だったそうです。

清塚信也のトークは面白い?ユーモアを交えたMCも

たとえばショパンの「英雄ポロネーズ」について、

「“ポロネーズ”はポーランドに伝わる踊り」という解説を行った後、

“ボロネーゼ”じゃないですよ、ボロネーゼはスパゲティですからね」と

コメントしたり、

「多くの人に届けてこそ音楽」そんな想いを抱いてこれからも信じる道を突き進まれることと思います。

活躍を応援したいですね。