【米山隆一vs西田亮介】リハック炎上問題について考察してみた

4月30日公開のユーチューブ「リハック」の「米山隆一vs西田亮介」SNSと政治についてガチ討論!回の配信が、大炎上し、のちに振り返りとして当該番組プロデューサー高橋弘樹氏が5月6日にライブ配信をしていました。

この炎上した米山さんと西田さんの回の配信について考えてみたいと思います。

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【米山隆一vs西田亮介】リハック動画コメントには、西田氏擁護・米田氏批判コメントが大量に。だがそれは妥当なのか?

この炎上動画については、リハックの動画のコメント欄には、西田氏を擁護し、米田氏を批判するコメントが多数ついています。

ですが、私は、動画の内容を見るに、これは妥当なのか?と疑問に感じました。

というのも、これは既に多くの人が指摘していますが、開始当初から座組みへの文句、議論へ進もうとしない発言で、無茶苦茶とも思えるような対応を西田氏がしているからです。

SNSと政治について対談・討論しましょうという企画で、オファーを受けて行ったところ、こんなスタートでは誰もが面食らうのではないでしょうか。

米山チャンネル同時配信なんて聞いてない!と西田氏。後に聞いていたが許諾していないとコメント変更。

動画では冒頭で、このカメラは何?マイクは何?といきなり西田さんの疑問で始まるのですが、米山チャンネルで同時配信するからですとの話に、聞いてない!と話し始めます。

いつもはこんな感じではないじゃないですか?と言う西田さんに、米山さんが話そうとすると「高橋さんに聞いてる!」と遮ります。

そんな話は聞いていないと動画中、西田さんは言いますが、その後、X(ツイッター)で、米山さんがリハック側と交わしたメールで、西田さんの了承もあると聞いているとして、5月1日に当該メール画像を公開しています。

出典:https://x.com/RyuichiYoneyama/status/1917735496815632518
出典:https://x.com/moscow_0_0/status/1917824720407605284

西田さんは、その後、5月4日の投稿で、同時配信の話は聞いているが、許諾していないと答えを変更。

なお、チャンネルの同時配信の連絡は受けましたが、当然、条件の提示があるかと思いきや現在に至るまでなし。 しょうがないので、ライブ配信とアーカイブ配信の「実施」について許諾したのは明確に「事後」のこと。 なお収益分配については未だ示されてすらいないのです。

出典:https://x.com/Ryosuke_Nishida/status/1918999794426482759 (2025年5月4日)

リハック側から両者に出演を依頼していて、その際に米山氏から同時配信を条件提示されたのを受けて、リハックが西田さんの了承もとってOKですと返事しているのだから、そこはリハック側と西田さんが詰める話では?と思います。

(ちなみに、ファシリテーターとして牧原教授が米山さんの希望で参加されるわけですが、西田さんは、牧原さんとは一緒に仕事をするなど交流があり、今回の配信に先駆けて、当日混乱させるようなことをしますという話を牧原さんには伝えているとご自身のユーチューブで話されています。

なので、米山さんの希望である、牧原さんのファシリテーターについて聞いていたなら、同時配信のことも聞いていたのではと思いますし、配信の中で高橋さんも伝えてるけどなぁと言われています。)

そして承諾しないなら、その旨伝えて帰るなり、改めて交渉するなりするのが筋かと思うので、この最初の話からして西田さんの行動には疑問を感じます。

少なくとも間に入っているリハック側に文句を言わないということがおかしいということは多くの人が指摘していました。米山さんではなく、高橋さんに文句を言うべきと言うことですよね。

これを「だから高橋さんに聞いているじゃないか」と言う人がいますが、それは米山さんがいない場ですれば良いことで、議論の場でその話を持ち出して混乱させているのは、議論の場を妨害する手段に使っていると取られても仕方ないかなと思います。

疑問があれば、自ら聞く。当日現場で「そんな話は聞いてない」と言い、騒ぎだし、相手が説明しようとするのも遮って「おかしい!」「いつもと違う!」などと言い続けたなら、一般の取引社会では契約を切られかねないと思います。

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西田氏「プロレスだった」と話しプロレスファンから反論され謝罪

【米山隆一vs西田亮介】回の配信終わりに、西田さんは、自身の行動は「プロレス」だったと発言します。

つまり、わざとああいう態度をとっていたんだと。

西田さんとしては、「予定調和」的なニュアンスで「プロレス」と発言されたのかなと思うのですが、この発言にプロレスファンが反論しました。

西田亮介は、米山隆一との対論で見せた醜態を「プロレス」と表現したそうだ。「事前の取り決め」程度の謂いか。米山は憤慨しているから取り決めたのは司会者とか。なんの弁明にもならないしいずれにせよ不適切な例えだ。相手の技を一切受けないのは「プロレス」ではない。増して「対論」などではない。

出典:https://x.com/white198305/status/1918499117346767282

プロレスと言うが、プロレスは双方が合意して行うもの。言い訳として成立せず

出典:https://x.com/54xlYG1fG4iLJo3/status/1918612388237934919

受けの美学という言葉をご存知でしょうか? 米山氏の意見(技)を全く受けず、自分の意見(技)を押し通し続けた西田氏はプロレスラーとして論外でプロレスでもなんでもありません。

出典:https://x.com/mogu1214/status/1920410798733619307

プロレスはお互い承知の上で(何なら観客も)、お互いの技をかけ、受ける中でのエンターテイメント。そもそも米山氏はプロレスという認識もないし、米山さんの意見をまず受けることをしない(遮ることで発言させない)西田さんの行動は、受けの美学に反しプロレスでも何でもないと批判されました。

これらの指摘を受けてか、西田さんは、プロレスに詳しくなかったのに、使ってしまったことに対して謝罪をされています。

芸事という程度の意味でしたが、詳しくないのは事実で、一般的な使い方とは言え2度目で安直でした。 深い意味は特にないとは言え、気分を害したプロレスファンの皆さんには申し訳ないです。

出典:https://x.com/Ryosuke_Nishida/status/1918112876432339056

日頃の米山氏のXでの振る舞いのミラーリングだとの主張について

西田さんの行いに関して、日頃の米山さんがXでしていることの真似にすぎない、ミラーリングだという声がX上で見られました。

しかし、この件については、西田さん自身が「ミラーリング」とは言っていないと否定されています。

ぼくは「ミラーリング」とか言ってないですけど。。w

出典:https://x.com/Ryosuke_Nishida/status/1917791929460482273

また、例えば、よく米山さんがX上で使われる「左様なら」という言葉を使うことで、意趣返しだとする声もありました。

つまり「日頃あなたがやっていることがこんなにひどいんですよ」という主張かと思いますが、

X(Twitter)での自由な発言に自由な発言が被されていく空間と、あるテーマに沿って、討論・議論しましょうと話者が集められた場面では、そもそも同じには論じ得ないのではないでしょうか。

討論・議論の場として設定され出席した場所で討論・議論を全くしようとしない態度はとても疑問視されると思います。

そして、自分も同じように嫌がることをされたら嫌でしょと言う主張に対しては、であれば開始5〜10分程度そのように振る舞い、その振る舞いの趣旨を伝えればよいにすぎないのでは?との意見があり、私も確かにそうだなと思いました。

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なぜ西田氏は議論に入らずあのような態度に出たのか?

では、西田さんは、なぜあのような態度に出たのでしょうか?それについて考えてみたいと思います。

これに関しては、後に西田さんが「プロセス」「芸事」と言っていることから、本当にキレているわけではない、演出だったと言うことが想定されます。

では、どんな演出だったのでしょうか?

1)ドキュメンタリーを見せたかった?

これを考える上で、後にプロデューサーである高橋さんが、振り返り動画の中で「ドキュメンタリー」として見ていただければとの話をしており、その例としてドキュメンタリーの「アクト・オブ・キリング」の話を出しているのが参考になるかもしれません。

つまり、自分が話したいことを遮られ続けた場合に、人はどんな対応に出るのか、それをドキュメンタリーとして見せたかった、としたらどうでしょう。

すると、そもそも西田さんは、高橋さんからそういう番組意図を聞かされた上で、役割として演じたのでしょうか?

それとも、もともと議論する気が西田さんになく、西田さんがああいう態度に出たことを受けて、高橋さんは予想外だったけれども、どんな対応になっても、それも含めてそのままを放送する、それが真実でありドキュメンタリーだと言う高橋さんの番組作りの考え方なのでしょうか。

しかし、大前提として、これは討論企画として設定され、対談・討論相手にもそのように伝えられオファーが出されています。なので、ドキュメンタリーとして見てくださいは、企画を当初の予定であった討論企画として成立させることができなかった主催者の言葉としては、どうかと思いました。

むしろ番組の裏の意図としてドキュメンタリーを見せるためとの思いがあったとしたら、嘘の企画で対談相手を呼んだのだろうか?との疑問さえ湧きます。

「アクト・オブ・キリング」は、取材者がある種嘘をついて相手を気分良くさせ、真実の話をするように持っていくという話らしいですが、これは、通常では真実の証言が得られない、かつ史実の重要な証言として何としても得たいと言う動機で、それ自体別の問題として(取材倫理のようなことで)是非を問われるべき大きな問題だとは思いますが、

この例を出された上で考えてみると、今回の企画は、ある種嘘の企画で呼び出して、米山さんの人間性をあぶり出してやるぞ、みたいな企画だったのでしょうか。それ故の西田さんのキレ芸だったのでしょうか?

もしそうだとしたら、むしろその方が大問題な気がしますし、流石にそれはないだろうと思います。

2)朝生・田原総一郎氏のオマージュ?

西田さんは、自身のYouTubeチャンネルでこの時のことについて語っており、そこでエンタメである、朝生(朝まで生テレビ!)の田原総一郎さんの真似だと話されていました。

しかし、この田原総一郎さんの真似という意見には、私は同意できないと感じました。

なぜなら、田原さんは、確かに話の途中で、「はい次」とまだ話している人の言葉を遮ったり、テーマによっては、限られた話者にしか話を聞かないなどのことをしますが、

決して、最初から発言を遮り、何も話をさせないわけではないからです。

むしろ議事進行上、調整していると捉えることが可能で、司会・ファシリテーターの立場の人に求められている職務であるとすら言えるからです。

ちなみに指差しなどを真似ていると西田さんは話されていますが、たくさんの話者がいて、席も離れていて、の田原さんの指差しと、ごく近い距離での西田さんの指差しも、受ける印象は同じものとは言えないだろうと思いました。

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大学の授業で、学生が教授の話そうとするそばから遮り続けた場合どうなるか?

この動画を見ていて思ったのが、大学の授業で、学生が教授が話をしようとするそばから教授のよく使う言葉を用いて、ずっと話を遮り続けた場合どうなるかについてです。そして、そのような行為を続けたのち、「教育のエンタメだよ」と言ったとしたら?

大学の教授が授業をしようとすると、1人の学生が、話を遮りまくり授業が進まない。

その場合、教授は授業をやめて退出するという選択肢もあり得るのかもしれませんが、基本的に教授は大学と授業を行う契約を結んでいるので、多くは授業を成り立たせたいと思うでしょう。

(今回、米山さんも帰るという選択肢もあったかもしれませんが、リハックのオファーを受けて討論するということで来ているので、この場を成り立たせたいと思っていたとしても不思議ではないです)

では、その際、教授はどんな対応ができるでしょうか?

まず当該学生にその発言を止めるように言うことができるでしょう。

さらには、その学生に退出を命じることができるかもしれません。

(今回、米山さんには、西田さんに退出を命じる権利はありません。それがあるのは、主催者である高橋さんでしょう。ファシリテーターとして入られている牧原さんも、そのような権利は自分にはないと考えるでしょう。なぜなら常時ファシリテーターとして呼ばれていて日頃から退出についても言及できているならいざ知らず、単回で呼ばれた場合、その企画で最終どう判断するかは主催のリハック・高橋さんが決めると考えるだろうからです。)

ですので、例えば、学生に退出を命じるのが困難に感じる講師だった場合に近いかもしれません。

その場合、講師は大学側にこの事態を治めてほしいと思うでしょうし、大学側は、学生を退出させることもできるかと思われます。

それが、大学側が、その学生に「〇〇君、ちょっともうちょっと静かに」など諭しても、延々と学生は止めずに続けているような状態だった場合どうでしょうか。それは止めることができているとは云えないでしょうし、むしろ退出を命じるべきでは?と感じるのではないでしょうか。

(今回、その役目はリハックの高橋さんにあったかと思いますが、その責任を問われることを想定してか、後の振り返り動画で、高橋さんは「63回止めた」という話をされています。しかし、そこは「次、話を遮ったら退出してもらいます」くらいのことを言わなければ、止めたとは言えないと評価されても止むを得ないかと思います。)

では退出を求めことができる根拠とは何でしょう。それは、その場が「授業をする場」として設定されていることではないかと思うのです。

その場では、教授は授業をし、学生は授業を受ける、場に沿ったそれぞれ求められる行動というのがあるわけです。それ故にそれを遮る行動は排除することが可能になるのではないかと思うのです。

ここで少し話はそれますが、西田さんは、エンタメについて視聴者に喜んでもらうためと話しています。実際ユーチューブコメントには、西田さんスッキリしました!などの肯定的な言葉がありました。

では、たとえば、教室にいる学生が、「面白い!いつもあの教授ほんとうざいからスッキリする!」など肯定的であれば、この行為もエンタメとして許容されるのでしょうか?

多分許容されないですよね。

それは、先ほど言ったように、そこが授業を行う場であり授業を受ける場だからだと思います。

翻って、今回のリハックでは、その場は「議論・討論する場」として設定されていました。

ですので、そこに話者として参加した西田さんに求められるのは議論・討論することであり、議論・討論の場でなくすることではありませんでした。

相手の発言を初めから遮り、発言させず議論・討論させない、議論・討論の場にさせない行為は、やはりそれだけで十分問題行為でやめさせるべき行為だったと思います。

議論・討論という言論の世界で言論をさせないように遮り続ける行為の問題性をもう少し慎重に考えた方が良いと思いました。

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いわゆる「オールドメディア」であれば説明を求められる案件では?

今回の件は、新聞やテレビといったいわゆる「オールドメディア」と呼ばれるようなメディアであれば、編集デスクや、プロデューサーが説明を求められ、場合によっては対談・討論相手に対して謝罪を求められるような事案ではないかと思います。

いわゆる「オールドメディア」と批判の対象となっている新聞社やテレビ局ですが、それだけ公共性の高さを認められ、その分責任があり、注意深く監視されていると言うことだと思います。

リハックに公共性はない、という人もいますし、リハックは政治エンタメ番組だという人もいます。

しかし、高橋さんは、下記のように言論やメディアについて取材を受け発言をしているような立場です。公共性がないとは言えないのではないかと思います。

「様変わりする言論空間 ネット炎上の研究者とリハック創設者に聞く」https://www.asahi.com/articles/AST4R0RDVT4RPTIL00BM.html

また、政治エンタメという場合のエンタメとは何を指していっているのでしょうか?

私は、このような事態になったことについて、企画者であるリハックの高橋さんから米山さんサイドに向けて説明があっても良いのではないか、それくらいの事案だったのではないかと思いました。

そして西田さんもまた、芸事・エンタメと言われているのであれば、どのあたりが芸・エンタメなのか、どういった点で芸・エンタメなのか、議論・討論の場にオファーされ出席しながら議論・討論の場をぶち壊しにするかの振る舞いについて、説明が求められるのではないかと思います。

リハックの視聴者によるYouTubeコメントでは、米山さんの人間性が暴露された!との声もありますが、それを暴き出すための芸だったのでしょうか?それとも米山さんが日頃行っていることの酷さはこれくらいだと主張するための芸だったのでしょうか?怒ったら負けと言われる風潮の中で、怒らせることを目的にしていたのでしょうか?それで5〜10分で済まさず、米山さんの我慢が限界に来るまでやり続けようと思っていたのでしょうか?

例に出されがちなひろゆきさんや、田原総一朗さんですが、ひろゆきさんは相手の話を聞いた上で矛盾をついたり、それに関係する話を質問して詰めていくと言う印象で、田原総一朗さんももちろん話を遮ったり、時に人数制限で発言させなかったりと言うことがあったとしても、討論テーマに関して最初から全く発言させないようなことはなかったと思うので、今回の西田さんのやり方が彼らと同じだとも思えませんでした。

西田さんの行為のどのあたりがエンタメになるのか。相手の発言をさせないとする行為、討論の場を成り立たせなくすることを正当化できる理由とはどんなものなのか気になるところです。

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